福岡の焼き物

はい!次は焼き物編!!!

福岡の焼き物といえば
そう上野焼(あがの)と高取焼(たかとり)である多分…
上野も高取も茶陶です。

てかもうにほへしあんまり関係ね〜〜〜〜〜!!!!
でも長政様出るよ
※諸説あり
※個人レベルの調べたやつです


上野焼

かの有名なガラシャ様の旦那、
メンヘラ武将細川忠興様が招いて開いた窯
1602年頃のことである。

特徴といえば、
多彩な釉薬と薄づくり。
色としては白と茶色(焦げ茶?)が多…のか?
なんかあんまり資料が残ってないんだって!
廃藩置県でなくなりかけたけど
明治35年に田川郡の補助で再興しました。

—-

備考その1
1610年頃
武将松井康之(松井江の所持者松井興長の親父)が
古田織部(千利休の弟子)手紙のやり取りしたりしてたんだって

備考その2
細川忠興(三斎)様が松屋会記の中で書いた?
藁灰釉割山椒向付などがあり
福岡市美術館所蔵
です
法螺貝のキーホルダーあるよ!
福岡市美術館オンラインショップ


高取焼

はい!みんな大好き長政様!!!!
長政様が1602年頃に招いて開いた窯で
2代藩主忠之様の時に内ヶ磯に窯を移してそこから発展しました。
内ヶ磯も登り窯でいっぱい焼いていました。
17世紀初頭、京都に瀬戸物市が活発化?
遺跡からいっぱい出土する焼き物の中に高取もあり、
それ故、だいぶ売りに出していのではっつーらしい。
慶長(1596〜1615年)・元和(1615〜1624年)頃に京都の
瀬戸物市が縮小、(バブルが弾けたらしい)
丁度その頃1624年に高取焼初代の八山さん
帰国願いを出し、これに忠之様が怒って謹慎を言い渡す。
小さい窯に移されて、内ヶ磯の時より活動が弱まる。
んで、高取も縮小していった。

高取焼の特徴として
薄づくり綺麗寂びがある

綺麗寂びとは
遠州七窯っていう小堀遠州って人が
(当時言ってたわけじゃ無いらしいけど)
がプロデュースした窯が7つあり、その中に
高取と上野とかある。
千利休の弟子の織部さんが凄い絵を書いたりして
奇抜な方に行ったけど、小堀遠州さんは、
千利休の寂び綺麗寂びというものにしていったらしい。



これにつながって
小石原焼ですが1662〜1682年頃八山さんの孫
3代目藩主黒田光之様が伊万里の工芸師を招いて
磁器を作り出した。
そこから民衆が使うような器が作られるようになり、
現在の民芸品になってます。
現在は磁器ではなく陶器を作っています。
小石原の特徴として
飛び鉋刷毛目などがある
小石原焼の窯は、現在の東峰の辺りなので
この前の水害でめっちゃ食らってたとこです。
最近のコロナでアレだし、
よかったら探して見てみてください。
ネットショップはわからん…。



福岡工芸
上野焼
小石原焼

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